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藤棚の来歴(藤棚の藤は樹齢700年?)

この3月に藤棚の藤の木の大幅な剪定が行われました。残念ながら今年は藤の花を楽しめなくなりましたが、この機会に藤棚の来歴を、同窓会報「藤棚」19号(1988年)の木村憲二先生(1924-1948在職)、同26号(1994年)の石井定男先生(1949-1970在職)および「創立百周年記念 百年の回想」の加藤嘉男先生(1937-1960在職)のご寄稿に基づいて紹介します。長文ですがご寛恕を。
木村先生は1917年(大正6年)青山師範附属小学校高等科に入学され、大正13年卒業と同時に附属小学校訓導となられた方です。
学校は明治33年(1900年)に青山に移転していますが、当時の東亜たばこ社長佐々熊太郎、いち御夫妻が移転間もない校庭に木陰が少ないのをご覧になり、藤棚を明治39年(1906年)に寄付されたのだそうです。朝礼の時は全校児童がすっぽり納まる広さと書かれています。さらに、明治44年卒業の磯部吉雄さんから聞いた話として、代々木の八幡様に遠足に行った時、切り通しの崖が崩れ根がほとんど飛び出している藤を見つけ、神主さんから頂いてみんなで担いで来て植えたのもある、と記されています。
昭和11年(1936年)8月下馬校舎に移植する際は大きな藤を引き受けてくれる植木屋さんを見つけるのに苦労され、結局、「梅沢の彦さん」という植木職人さんが引き受けてくれたとあります。加藤先生のお話では、この中には樹齢700年の藤もあったとのこと。
さらに、昭和12年に吉田さん(昭和5年卒業)のご両親が娘さんの在学記念にとピンク色の藤を植えられたそうです。
石井先生によると、深沢校舎への移植も青山から下馬へ移植された同じ梅沢の彦さんに頼んだそうです。この移植に際しては、現在の附属高校の正門前に住んでおられた藤の寄贈者である佐々さんのお宅に伺いお話をしたとあります。附高出身の方、佐々さんのお宅ご存じですか?
下馬へさらに深沢への移植に際し、いずれも枯れた樹は無かったと書かれています。現在藤の木は上校庭に太い木が2本、下校庭には細い2本を含め7本植わっています。今の藤棚は移植後に枯れた藤が無ければ119年前最初に植えた数より2本増えていることになり、また樹齢700年の藤も無事深沢に移されたことになります。今や樹齢770年になり天然記念物級ではないでしょうか。学校の藤棚の花にはいわゆる藤色のムラサキのほか、シロと上述のピンクの3種があるそうです。私はうかつにも色の違いがあったとは気づきませんでした。
近年、藤の樹は花の数も少なく、幹に空洞も目立ち著しく元気がなくなっています。このままにしておけば早晩枯れてしまう恐れが出てきました。そこで、同窓会から栃木県足利市の「あしかがフラワーパーク」に4本の大藤を移植され長らくそこの園長を務めた、藤に関しては第一人者で樹木医として高名な塚本こなみ氏(現在浜松市花みどり振興財団理事長)に診断をお願いし、同氏の指示のもとに東京所在の業者さんが剪定をしました。来年も引き続き剪定するそうですが、やがて再び緑波うつ藤棚が豊かな花の房をつけ、みごとな実がなるのを見られるように期待したいと思います。